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平成23年4月か5月かは、はっきりしないが家内と箕面に向かって湖西道路を走っていた、よく晴れた午前中、メガネが曇ったので、拭いて欲しいと渡したが、ハンカチが油っぽかったためか良く拭けていない、不満だったのを記憶している・・・・
8月10日家内と二人で福井市の集団検診へ行くと私だけに眼底検査をうけるようにとクリップ板に紙片を挟まれた、心電図が済むと、いかにも保健婦らしい係員に連れられた、私だけ何故・・?去年の検査で目のおかしいのが解っていたのか?と思い、私は素直に実は左目の調子悪いのですと白状した。
9月初めころ大きい用紙の検診結果表が届き「白内障の恐れ」と印字してありました、思えばあの頃より白いかすみが決定的にひどくなってきて、キャッチボールに少し支障がでてきた感じがした。
9月28日からのシニアソフトボール大会(京都舞鶴)まで大丈夫かな・・・・監督に隠して、そのままサード6番ででた、運よく勝ち進みベスト4をかけて昨年準優勝の伊那シニアと対戦、延長タイブレークで5対6で惜敗したが、良い成績と自負し帰郷した。
10月23日夜シニアソフトボールの反省会にでたが6打席3安打で5割、打率上位2番目だった、長打がなかったので、しゅんとしていたが、なんのなんの・・・
10月28日 眼下医院に行く。
10月29日 眼下医院検査が終わった後に医師が「しますか?」と「お願いします」と私、この時まで両方ともするとは思っていませんでした、片方だけと思っていました・・
でも両方じゃないと将来左右遠視度数が合わない事が納得できてきた、瞬間的に思考が駆け回った、でも「このままでは来シーズンキャッチボールはできない」「昼間の明るい日の運転の違和感、」「夜の後退灯の暗さ」「ゆくゆく片目になる」・・・・
日赤病院への紹介状を書きますと・・医師、11月1日取りに行く約束をした・・
大人の、男の、俺だって怖いさ・・・一時的に全盲になる!実に怖い。
家内は3日夜から「栃木へスポーツレクレーション、インディアカ」5日間不在となる・・そんな11月1日の朝晴天です。
11月 1日 紹介状を取りに行く、11月7日午前8時30分紹介状専用受付に行き従う事と等が記されている。
11月 7日 日赤病院検診
11月10日 日赤病院再診 結果右目はまだ見えてるみたいだから、相談だけどもどうしますと聞かれたので気分的に片方が楽なので、片方だけにしてもらいました、18日午前11時30分からとなりました。
11月17日 前日入院
11月18日 よく眠れずに手術の朝がきた、もう6時間後には時が解決してくれるそう思っていた、8時30分手術過程を写真付での説明を聞いた、手術衣を着た女の担当者だった、いよいよの感だ、部屋に戻り、20分毎に瞳孔を開く目薬をした。
そして時間がきた、最初から世話してくれた、担当看護師さんに痛み止めの目薬をしてもらった、車椅子に乗りステン扉の中へ、1分ほど待つと更に奥の扉から済んだばかりの婦人がベッドに寝て排出されてきた、それを見て、私はエールを送りたい感じにとらわれた、同志と かってに思った、その婦人が降りたベッドに私が流れ作業的にセットされた、手術室の中へ押されて行った、最後に横揺れがしますと聞こえてテレビでしか見たことがないと思われる顔の上の丸い(?)明るいライトの下に来た。
いつもの診察医の声で名前を聞かれた、左目部が開いたクロスをかけられ、そのまま目の上から手で押された、それで瞼を固定されたのだ(後から解ったことですが)術医は当たり前のようにサッサとやっている、もうすでに開かれているのが解る、ライトの光が目を動かさないのに動くので今やっているなと、そうこうしていると、察するにレンズを入れていると思われる感じがした、もうじき終わるぞと期待していた、そうこうしているとまた最初と同じく、いきなりヨードチンキ色した液が遠慮なくかけられた、前後しているかもしれないが「終わりました」と聞こえた気がした、クロスが剥がされ瞼が閉じた、ヨウチン色下蛍光灯を見ながら手術室を押されて出てきた(この時点でもう見えていたので嬉しかった)、そして眼帯されてベッドを降りて車椅子に乗った
思ったより早かったのか送ってきてくれた看護師さんが電話で済みましたと連絡されていた、そしてもう一つの扉が開き安堵する病棟へ、看護室の前で、血圧と体温を測られたが血圧148と10高かった、怖かったんだからしかたがないと思った、次の回診では戻っていた、1時間安静にしていた、そして家内に連絡して三流の災害用ラジオが壊れた、テレカードを買って欲しいと告げた、自分で買えばいいんだが私は気が弱くて販売機にも弱いのです、20年余り視力が落ちていたから説明文等が読めなかったからと思っている。
20分程で来た、二人でリンゴと柿を食べた「眼帯のよこから綺麗なテレビが見える」と見えることを伝えた。
家内はインディアカ県外事務局で忙しいので30分で開放してあげた。
11月19日 退院日、よく寝た感の4時半、退院の朝がきた、眼帯をとり街の遠くの灯りを見た、ハッキリと見える、乱視もなくなっていたのだ一つの灯りだけだ、7時になってテレビをつけた、左目でテレビを見たビックリした、こんなにテレビがこんなにクッキリと鮮やかに映っていたなんて、40才の元旦朝のテレビを思い出した。
朝食を済ませ、10時からの検診、10時20分家内がマイカーで迎えがきた。
11月20日 朝6時半頃、目覚めた、目薬2種を下瞼にした昨日より少しだけ手術による充血目が良い様に思う、やはり病院の新しく綺麗な4人部屋より、古くても一人で気兼ねなくオナラができる私の部屋が良い、朝食、飲み薬、インスタントコーヒー嗚呼イイ!
家内は石川県かほく市へ北信越インディアカ県対抗戦の雑務に朝早くから行って留守である、平和なもんだ。
平成23年11月20日
ニアソフトボール 東 正司
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